Collection of essays – 館信秀

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私が山路慎一と言うレーシングドライバーの存在を知ったのは、1998年の全日本スーパーGT富士のレースでの最悪なアクシデントの時でした。レース中にも関わらず、己の危険も顧みず、人命救助を行う姿がカメラに映し出され、何もできず呆然と立ち尽くすしかない自分が、『助けてやってくれ。』と山路に願ったのが彼との出会いです。

次の1999年から3年間、トムスのGTドライバーとして頑張ってくれました。寡黙で職人のような雰囲気を持つ彼になぜだか好感が持てたのを覚えています。彼のレースで一番印象に残っているのは2001年の菅生で、ワインガードナーと組んで優勝した時です。山路が人目もはばからず号泣し抱き合って喜んだのはいい思い出です。しかしながら病と闘い始めたのもそれから間もなくだったと記憶しております。レース同様に病にも実直に向き合い、良いとされるものには全て試し、克服したように元気になった山路とは家族ぐるみで付き合っていたので、今でも悔しさが込み上げてきます。

でも山路は病と向き合ったことで更に優しくなったし、きちんと人や仕事に向き合う為に厳しくもなりました。曲がったことが嫌いで、時々まあまあと嗜めたくなることもありましたが、それが山路らしさだった。

今は、男としていい生き様だったと言ってやりたいと思います。

これからのレース界の為にも、山路が蒔いた種が花となり、実になるよう遺されたもので形にしていけるよう私も尽力したいと思います。最後に、山路夫妻が本当にお互いに唯一無二の存在であったことで、たくさんの困難を乗り越えたことを友として誇らしく思います。

舘 信秀